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  • 2015.08.31 Monday
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バフェット・パートナーシップの手紙1958年版?

バフェット氏が1958年にパートナーシップのパートナー達に宛てて書いた運用報告の手紙、その日本語訳の続きです。 (パート?はこちら→http://www.sbi-com.jp/?m=pc&a=page_fh_diary&target_c_diary_id=243011) 昨年の後半、私達は魅力的な価格で最大株主になることが出来るある特別な状況を見つけ出すことが出来ました。そこで私達は保有していたコモンウェルス株を売り、その時点での市場株価は私達の売値より約20%も低い状況下で1株当たり80ドルを得ることになりました。 私達が1株50ドルで保有したまま、根気よくほんの少しずつ買っていくことも出来たのは明らかです。 そしてそのような計画では昨年の市場と比較した私達のパフォーマンスは劣って見えたとしても、私はかなり幸せだったでしょう。コモンウェルスの様な状況が利益を確定する結果になった年というのは、大げさにいってしまえば、偶然にすぎないのです。 それゆえ、私達のある単年度の運用成績というのは、長期的な結果を判断する基準としては重大な限界があるのです。 しかし、私はそのような過小評価に十分に保護された有価証券に投資するという綱領が証券による長期的な利益の最も確実な手段だと信じています。 この株を80ドルで買った買い手も長年にわたってみればかなりうまくいくだろう、ということは言っておきたいと思います。 しかしながら、135ドルの本質的価値に対する80ドルという相対的な過小評価は、125ドルの本質的価値と50ドルの価格とはかなり異なっています。そして私には私達の資金はそれに取って代えた状況の方がより良く運用できるだろうと思えました。 この新しい状況はコモンウェルスへの投資よりいくらか大きく、複数のパートナーシップの資産の約25%に相当しました。過小評価の度合いは我々が保有する他の多くの証券と同等(やや小さくさえあります)である一方で、私達は筆頭株主であり、そしてこのことが過小評価が修正されるのにかかる時間を決める上で何倍も大きな有利な点でした。 ことこの保有株式については、私達は事実上その保有期間におけるダウ・ジョーンズのそれよりも優れた運用成績を保証されているといっていいでしょう。 『現在の状況』 市場の水準が高くなるほど過小評価された株式は少なくなり、そして私は魅力的な投資対象を十分な数確保することに幾ばくかの困難さを感じるようになってきています。 稼動中の資産の比率を増やす方が好ましいのですが、これらは適切な手段を見つけるのが非常に困難なのです。 それゆえ、可能な限り、私はいくつかの過小評価された証券に大きなポジションを取ることで自分自身の稼動資産を創り出そうと試みているところです。 そのような行動は私の以前からの予想―下降または横ばい相場では平均を上回り、強気相場では平均並みの運用成績―を実現へと導くことになるでしょう。 私はこのことを基準にして自分を評価して欲しいと願っています。 もし何か質問があれば、遠慮なくお尋ね下さい。 ウォーレン・E・バフェット 1959年2月11日 (終わり)

バフェット・パートナーシップの手紙1958年版?

バフェット氏が1958年にパートナーシップのパートナー達に宛てて書いた運用報告の手紙、その日本語訳の続きです。 (パート?はこちら→http://www.sbi-com.jp/?m=pc&a=page_fh_diary&target_c_diary_id=243011) 『典型的な状況例』 私達の運用手法をよりよく理解してもらう為には、1958年のある具体的な運用例をご説明するのが適当かと思います。 昨年、私は複数のパートナーシップの資産の10%から20%を占める最大の保有株式について触れました。私はこの株についてより大きなポジションを取れる様に株価が値下がりするか比較的安定していてくれることが我々の為になるのだと、またこうした理由から、その様な証券は強気相場における私達の相対的なパフォーマンスの足を引っ張ってしまうことになるだろうと指摘しました。 この株式とはニュージャージー州ユニオン・シティのコモンウェルス・トラスト社でした。 私達がこの株を買い始めた時、その本質的価値は控えめな基準で計算して1株当たり125ドルありました。 ところが、ちゃんとした理由はあったのですが、この会社は1株当たり10ドルの利益を得ているにも関わらず全く現金配当を行なっておらず、そしてそのことが大いにひびいて株価はおよそ50ドルまで下落していました。 そしてここに、本質的価値から大幅に割り引かれた価格から吹き出る大きな収益力を伴った、非常にうまく管理された背景がありました。経営者は新たな株主である私達に好意的で、究極的な損失の恐れはごくわずかに思われました。 コモンウェルス社はより大きな銀行(コモンウェルス社の資産は約5千万ドルでした―オマハにあるファースト・ナショナル銀行やU.S.ナショナル銀行のおよそ半分の規模です)に25.5%の株を持たれており、その銀行は何年もの間合併を望んでいました。 その合併は個人的な理由で妨げられていましたが、この状況がいつまでも続くものではないという根拠がありました。 こうして私達には以下の様な良い組み合わせが揃いました。それは (1)非常に価格変動性が小さい性質、 (2)満足いくペースで積み上げられている確かな価値、そして (3)この価値が1年後か10年後かも知れないが、いつかは実現益に変えられるという根拠、です。 もし10年後というのが現実になったとしても、その価値は今よりかなり大きな数字、おそらく1株当たり250ドル位にまで増加していることでしょう。 一年かそこらの期間で、私達はこの銀行のおよそ12%の株式を1株当たり約51ドルで手に入れることが出来ました。明らかに、この株の値動きが活発でない方が私達にとって有利であったことは確かです。 私達の保有株式の価値は、とりわけ私達がどんな合併提案にも協議する権限のある十分な議決権を得て第2位の大株主になった後にはそのサイズが大きくなるほどに増加していきました。 コモンウェルス社はたった約300人の株主しかおらず、おそらく1ヶ月に平均して2回かそこらの取引しか行なわれていませんでした。したがって、なぜ私が株式市場の活発さが概して私達のいくつかの保有株式の値動きにはほとんど影響しないと申し上げるのかは理解していただけるでしょう。 あいにく、私達はいくつかの買い方と競合に陥ってしまい、それによって株価は買おうとも売ろうとも思えない水準である約65ドルにまで上がってしまいました。取引が活発ではない株式においては非常に少ない買い注文でもこの規模の価格変動を作り出してしまいます。このことが私達のポートフォリオの持ち株についてどんな“漏洩”もさせてはならないことの重要さを説明してくれています。 (続く)

バフェット・パートナーシップの手紙1958年版?

バフェット氏が1958年にパートナーシップのパートナー達に宛てて書いた運用報告の手紙、その日本語訳の続きです。 (パート?はこちら→http://www.sbi-com.jp/?m=pc&a=page_fh_diary&target_c_diary_id=243011) 『1958年の結果』 昨年の手紙の中で、私は次の様に述べました。 「私達の運用成績は、比較的に、強気相場よりも弱気相場において良い傾向にあり、そしてそれゆえ上の結果から得られるアウトパフォーム差は、私達が比較的上手くいって然るべきタイプの年であったという事実によって控えめに見られるべきです。 市場全体がかなりの上昇をみせる年には、私は市場平均の上昇と同程度の結果で十分満足することでしょう。(※)」 この後半の一文が1958年という年を端的に表現しており、そして私の予測は当たったことになります。 ダウ・ジョーンズ工業株平均は435から、約20ポイントの配当金を足し戻した後で583まで上昇し、ダウ・ジョーンズ一単位に対して38.5%の総合利回りになりました。 昨年一年間を通して運用した5つのパートナーシップは平均してこの38.5%よりもわずかに良い結果になりました。両年の期末株価を基準として、これらの利回りは36.7%から46.2%までの範囲に収まっています。 資産のかなりの部分が急激に上昇する相場の恩恵をほとんど受けない証券に投資されたままであるという事実を考えると、この結果はかなり良いと私は思います。 私は今後も、私達の運用成績は下降または横ばい相場で市場平均を上回るものの、上昇相場では市場平均についていくのがやっとになるだろうという予想を変えるつもりはありません。 (※)訳注:1957年の手紙を引用している。1957年のダウ平均の下落率が8.4%、 バフェット・パートナーシップの上昇率が10.4%だったので18.8%アウトパフォームしたことになる。(『賢明なる投資家』補遺参照) (続く)

バフェット・パートナーシップの手紙1958年版?

あるブログを見ていたら、凄いお宝文章が紹介されていました。 このブログ(→http://stojkovic.blog20.fc2.com/blog-entry-522.html#comment2699)で、 バフェット氏のパートナーシップ時代(バークシャー・ハザウェイ以前)の手紙の原文が紹介されていたのです。 リンク先には1959年〜1969年にパートナーシップを清算するまでのパートナー達に宛てた手紙をPDFとテキスト化したものの両方が載っています。 1959年というとバフェット氏は当時28歳。 50年も前の文章が読めること自体も感動ですし、 自分とほぼ同年代の頃のバフェット氏がどんな考えを持っていたのかというのも非常に興味深い。 とりあえず1959年に書かれた手紙を読んでみましたが、 当時からベン・グレアムに師事した彼ならではの 市場や株式に対する独特の考え方がよく表れていていて、とても面白いです。 そこで今回も日本語訳に挑戦してみることにしました。 1959年2月11日に書かれた、1958年の運用成果をパートナー達に報告する手紙です。 『株式市場全般について』 中規模の投資信託を運営しているある友人が最近次のように書いていました。 「アメリカ人特有の移り気な性質が1958年の大きな変化を生み出した。 それに、少なくとも株式市場にとっては『熱狂的』なのこそ相応しい世界だ。」 私はこの文章が1958年の株式市場をアマ・プロ両方のレベルにおいて支配していた 心理的な変化を要約していると思います。 昨年1年間はほとんど何でも、市場で『投資』することを正当化する為の理由にされました。 現在、過去の大半の年よりも多くの移り気な人々が株式市場に居ることは間違いなく、 そして彼らが市場に留まっている期間は 利益が手早く、楽に得られると彼らが考える長さに制限されるでしょう。 そうした人々がどれほどの期間増え続け、 そしてそれによって株価を押し上げるかを測る事は不可能な一方、 私は彼らが長く市場に留まっているほど、そこからの反動も大きくなることは確かだと思います。 私は市場全体の予測を試みようとは思いません― 私は過小評価されている有価証券を見つけ出すことに注力しています。 しかしながら、株式投資で儲かって当然と世間一般に広く信じられることは いつかきっと災いを招くと私は信じています。 もしそれが起きれば、過小評価された証券の株価でさえも(私の考えでは、内在価値はそうはなりませんが)、 大きな影響を受けることが予想できます。 (続く)

20代の貯蓄額

昨夜、九州のローカル番組で20代男性の貯蓄額はどの位?というテーマで、 福岡市・天神で街頭実名インタビューをやっていました。 近い世代の若者がどの位の貯蓄をしているのだろうと興味津々で見ていたのですが、 貯蓄金額は上は600万円(結婚したばかりで結婚前は800万円あったという人もいましたが)から、下はゼロ円まで、まさにピンキリでした。 それにしても、やっぱりお金の考え方って人それぞれですね〜。 年収500万円くらいあっても全て遊びに使って貯金しないとか全く貯金に興味がないという人もいれば、 毎月の給料から定額で貯金したり、学生でも500円玉貯金でコツコツ、90万円まで貯めたという人もいました。 あと、20代女性が結婚する男性に希望する貯金額というのもインタビューしていて、 これまたピンキリでしたが、平均額は160万円でした。 貯金をする理由というのも色々ありましたけど、 やはり「結婚のため」、「将来の不安」というのが多かった気がします。 僕も同じ20代として共感できると同時に、 若いうちからある意味で「守り」に入らざるを得ない様な社会情勢には少し寂しくも感じました。 ちなみに僕自身の貯蓄額ですが・・・ 秘密ということで(笑)

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